酸ヶ湯温泉 〜ゆるやかな境界〜

ー今から約300年も前のこと、猟師が仕留め損ねた手負いの鹿を追って山へ入った。

3日後にその鹿を見つけたが、傷を負っているはずのその鹿は、ひらりと身をかわし岩を超えて俊敏に逃げ延びてみせた。

不思議に思った猟師が付近を探索したところ、温泉が湧いているのを見つけた。ー

そのような言い伝えから、「鹿湯」(しかゆ)と呼ばれるようになり、その酸性の湯質から、「酢ヶ湯」「酸ヶ湯」(すかゆ)と名を変えて呼ばれるようになった。(これについては諸説あると言われているが) 

八甲田大岳の麓、標高925メートルにある、酸ヶ湯温泉である。

酸ヶ湯の湯は乳白色の硫黄泉。バスを降りた瞬間から硫黄の匂いに包まれ、暫くは微かに肌の上に残る。

湯を少し舐めてみるとその酸っぱさを感じられるほどの強めの酸性で、源泉掛け流し。

そして、酸ヶ湯温泉はなんといっても特徴的なのが名物「ヒバ千人風呂」だ。

すべてが青森ヒバで作られた柱ひとつない約80坪(160畳)の圧巻の造り。ヒバ材は、抗菌・防虫成分のある成分を多く含み、水に強く腐りにくいことで知られているそう。見た目の美しさだけでなく、合理的な理由で選ばれている建材なのだ。

1684年の開湯以降、長く湯治宿として栄え、長期滞在客が主だった時代には、宿に床屋、診療所、託児所などもあり、ひとつの町のように賑わっていたと言われているそうだ。340年もの歴史の中で、馬と徒歩で酸ヶ湯まで通っていた時代、その道中にある萱野茶屋(現在のひょうたん茶屋)は、足を休めるための貴重な休憩場所であったことだろう。

1936年、十和田地区が国立公園に指定され、1956年には八幡平地区が追加され、今の十和田八幡平国立公園となった。

一方、1954年には、卓越した効能と豊富な温泉の湧出量、広大な収容施設、清純な環境が認められ、酸ヶ湯が国民保養温泉地の第一号に指定され、全国的にその名が知られることとなった。

湯治の過ごし方としては、15分~20分間くらい入浴し、布団で1時間ほど横になり、慣らしながら1日5、6回繰り返す。基礎体温が上がることで万病に効く、という言葉が実感できるほど、身体の芯からポカポカ温まる。

温泉療養相談室には、看護師の資格を持つ相談員の方が常駐しており心強い。

また日本全国でも珍しく、混浴が残っている温泉としても知られる。

熱の湯・冷の湯・四分六分の湯・湯滝という4つの源泉を持つ「ヒバ千人風呂」は混浴で、洗い場はなく、浸かるだけの浴場である。シャワーや石鹸を使いたい時は、男女別の「玉の湯」で、という仕組み。

混浴と聞いて躊躇う人も多いと思うが、ワンピース型の湯あみ着を500円でレンタルすることができるほか、入り口は別であること、お湯が乳白色であることや、浴室内には衝立があることで、入浴中の視線は気にならず、意外と余裕で入ることができた。(冬はさらに湯けむりでほぼ何も見えないらしい)

また、館内には「混浴を守る会」の注意書きがあったり、女性専用時間が朝と夜に設定されていたりと、古くからの混浴を守るため、現代的な様々な工夫が凝らされているのが分かる。

また版画家の棟方志功が愛した宿としても知られ、館内には多くの作品が展示されている。

宿泊時の夕食は、「湯治食」と呼ばれる昔ながらのシンプルな献立と、品数の多い和会席膳から選ぶことができる。

シンプルとはいえ、採れたての山菜や茸、菊花のお浸しなど、山の幸をふんだんに使った品々は、しみじみと滋味溢れるご馳走だ。(写真は湯治食。特に右下の滋養豚の味噌ちゃんこが驚くほど美味しかったです)

また売店では、青森名物である生姜味噌おでんが販売されているほか、隣のそば処『鬼面庵(おにめんあん)』で八甲田山の湧水を使った山菜そばや名物の蕎麦プリンが食べられるの食べられるのも、滞在の楽しみのひとつ。蕎麦プリンは甘さ控えめで、プリンとカラメル、どちらにも香ばしい蕎麦の実の香りがする。

酸ヶ湯の昔と今をもっと深く知りたくて、酸ヶ湯温泉株式会社 宿泊営業課 国際プロジェクトリーダーの高田さんにインタビューをさせていただいた。

酸ヶ湯温泉にいると、自然と五感が開かれていくような感覚がある。硫黄の強い匂い、心地よく熱めの湯、身体の芯から温まる感覚、隣人との短い交わり。鳥のさえずり、虫の音、雨の音。障子越しのほの淡く柔らかい光。木の影が風で揺らぐさまなど。

季節によって、それは深い雪の中の静寂だったり、ぶなの新緑の匂いだったりもする。

外の気配を近くに感じることができるのは、昔ながらの建物ならではのよさである。

木造の建物、庇の長い広い屋根、ほの明るく光を通す一面の障子、間仕切りとしての引き戸、陰影を作り出す床の間、風通しのよい縁側など、移ろいやすさを楽しみ、外と内の世界にゆるやかな境界線を持つのが魅力の1つかもしれません。

ここ酸ヶ湯では、湯治のために人々が集い生活を共にした、というその成り立ちが優しさを生み、その境界線の優しさが、今なお珍しい混浴文化をはじめとするさまざまな慣習を残しているのかもしれない。

そして、最近、和室の良さをより感じてほしいと、移り変わる外の世界の変化を繊細に感じられる、額入り障子の部屋を2部屋限定でプロデュースしたそうだ。高田さん自ら障子張りも担当されたそう。

書き物に適した文机(ふみづくえ)がある部屋と、ちゃぶ台がある部屋から選ぶことができる。

公式予約サイトからのみ予約可能)

また、7月には「土用の丑の日の丑の刻(午前1~3時ごろ)に温泉に浸かると無病息災でいられる」という風習が残る「丑湯祭り」や、

冬にはイグルー(雪をタイル上に積み重ねたドーム状のかまくら)の中で抹茶をいただく「雪の茶室」や「イグルーカフェ」など、毎年少しずつ内容を変えながら、色々な楽しいイベントを企画されているとのこと。

季節ごとに戻ってきたい場所だ。


文:Mikami

岡山→神戸→大阪→東京を経て、青森市移住2年目。映画と温泉、旅が好き。Serendip Tripの中の人。